Weekend Painter - Aya Sakagami

ちまたでじろうちゃんとよばれる、週末画家の活動のお知らせです。

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「うまいこと言えない」の話

3月20日のほぼ日「今日のダーリン」(アーカイブされないので、リンクなし)を読んで。またほぼ日ネタかいな…と思われますが、書いている私がほぼ日大好きなので、しょーがない。

・<吉本隆明さんのやってきたこと。>

 ずうっと、大多数の「うまいこと言えない」人々を、
 応援し手伝おうとしてきた。
 ほんとうは、じぶんが「うまいこと言えない」人だった。
 「うまいこと言えない」人が、うまいこと言えたとき、
 世界は「ほんとう」を見て、凍りつく。

 <中略>

・ずっと「うまいこと言えない」ことは、弱さだった。
 大人の前で子どもは、男の前で女は、国家の前で民は、
 人間の前で犬猫は、知識の前で非知は、弱いものだった。
 そして「うまいこと言う」ことは、武器であった。
 しかし、その弱さを蔑ろにしたことこそが、
 武器を使う人間の弱さであり、落し穴なのである。
 ほんとうは、世界は、まるっきり
 「ひっくりがえし」なのだと、吉本隆明は言い続けた。

糸井さんの言葉でたまにでてくる「沈黙」という言葉は、無音であることだけではありません。それは吉本さんの言葉であって、「うまいこと言えない」感情や思想や間やれ、いろいろななにかをはらむ「沈黙」であること。「沈黙」をもって答えることもできる。そう定義すると、沈黙という言葉は実は深いです。

デザインすることの目的のひとつは、誰かの「うまいこと言えない(けど言いたい)」ことを引き出して可視化させることです。私がデザインを志した時の目標であったはずなのに、それをすっかり忘れてしまっていました。日常会話でうまいこと言うのが前より少しうまくなって、天狗になっていたようです。

人間、多かれ少なかれ「うまいこと言えない」を持っているはずなのに、だいたい「うまいこと言えない」ことをバカにしたり、恐れたりしていて、「言ったもん勝ち」の側面も…。だから、伝わることを求め、うまいこと言おうと必死になって、悩み苦しみます。その必死のパッチMAXが芸術などの「表現」にいきつきます。

ちょっと話がそれてしまうのですが、私は知的障害を持った人たちのアート活動に興味があります。日本で最も有名なのは「アトリエインカーブ」ですね。またはじめて見て心惹かれたのは、ミスドの店内に貼られていた「ねむの木学園」の子どもの絵です。(人によるが)生まれた時から、「うまいこと言えない」生活をしていて、伝えるための道具に絵筆があることさえ知らなかった人たちによる、表現の魅力は、素直さ純粋さもそうですが、なにより気迫です。気迫。もう一回言う、気迫。一応ブログ書ける私は、ただひれ伏すのみです。最近アート活動を支援している大阪の福祉施設を取材した本「PR-y」を読んだのですが、表現することによってスタッフとのコミュニケーションの可能性が一気に広がったそうです。

「言わないとわからないよ!」は、間違いなくコミュニケーションの基本です。伝える努力はしないとダメです。ただ、そればかり求めたり、求められたりしてしまうのは、どうか。「うまいこと言えない」と「うまいことわからない」は表裏一体なのかもしれません。

「うまいこと言えない」ことをつかむのは難しいことですが、せめて吉本さんのように「うまいこと言えない」を敬えますように。